経済産業省・中小企業庁は、「従業員のメンタルケアの方法や注意点などについて教えてください。」と題して、下記内容を発表しました。
回答
現場でできるメンタルヘルスケアの方法としては、(1) 承認欲求を満たすコミュニケーション、(2) メンタルヘルスの教育推進、(3) 新たな居場所づくりが効果的です。注意点としては、「ケア」と「過保護」が異なる点を理解し、組織全体で予防策を講じることです。また、メンタルヘルスケア対策は手段であり、その目的である組織活性化に向けた設計を行うことが求められます。
1.メンタルヘルスケア対策と費用対効果
私たちの日常生活において、「気分が上がらない」「やる気が出ない」と感じることは誰しもが経験するものです。多くの場合、時間が経てば自然に回復します。しかし、仕事などのストレスが原因でそうした気分の変調が長く続くと、抑うつ状態に陥ることがあります。抑うつ状態は、気分の低下や活動性の低下を伴い、多くの精神的・身体的な変化が現れる状態です。例えば、意欲や集中力の低下、食欲の喪失、睡眠障害などが挙げられます。
実際、厚生労働省の調査(*1)によれば、メンタルヘルスの問題で1か月以上の休業や退職を余儀なくされた従業員がいる事業所は13.3%に上ります。さらに表立っていない潜在層を含めれば、どのような企業においても、メンタルヘルスに関連した経営上のリスクがあると考えられます。従業員が休業や退職となれば、その分の仕事を上司や同僚でフォローアップしなければなりません。そして、フォローアップを任された人は仕事量が増えるため、新たなストレスの原因ともなります。よって、メンタルヘルスによる休業や退職は、組織力の低下につながる恐れがあるのです。
では、このような問題を予防するための対策はあるのでしょうか。メンタルヘルスにおける費用対効果の研究(*2)によれば、職場環境の改善やストレスマネジメント教育が効果的であるとされています。これらの対策は、経営上も効果的で、仕事のパフォーマンス向上や休業日数の削減に寄与します。
最近では、メンタルヘルスケアを提供する外部のサービスも増えてきました。外部委託も1つの方法ですが、まずは現場での取り組みから始めることが重要です。外部委託のみに頼ると、組織内の人間関係やコミュニケーションの問題は解決されません。メンタルヘルス対策は、組織の活性化を目的として取り組むべきです。現場で行える取組みについて筆者の経験から効果が期待できる対策を紹介します。
2.職場で行えるメンタルヘルス対策
(1) 承認欲求を満たすコミュニケーション
人々は自分の「存在」を認められることで、前向きなエネルギーを得ることができます。ここでの「存在」とは、仕事の成果やスキルではなく、人間性や価値観を指します。例えば、「〇〇さんがいると職場が明るくなる」、「〇〇さんがいると安心できる」といった言葉は、相手の人間性を認めるものです。このようなコミュニケーションは、組織のメンタルヘルスを向上させる効果があります。誰しもが承認欲求を持ち合わせています。
承認欲求とは、心理学者であるアブラハム・マズローが提唱した欲求五段階説の1つです。端的にいうと周りから認められたいといった気持ちです。承認欲求は自己の成長を果たすエネルギーとなります。
世界的に店舗展開しているアメリカの某有名喫茶店チェーンでは、サンキューカードをスタッフ同士で交換する文化があります。この取り組みは、この承認欲求を具体化したもので、スタッフ同士で感謝のメッセージを伝え、お互いに認め合う仕組みとして機能しています。名刺サイズの小さなカードへ、「手伝ってくれてありがとう」、「笑顔が素敵でこっちも元気になるよ」などのメッセージを書いて渡しています。その取り組みによって、もっと貢献しよう、ベストを尽くそうといった前向きになることができます。
(2) メンタルヘルスの教育推進
メンタルヘルスの知識は、心の健康を維持するための土台のようなものです。従業員にメンタルヘルスに関する教育や資格取得を推奨することで、組織全体のリテラシーを向上させることができます。
例えば、部下が計算ミスをしたとき、上司のメンタルヘルスのリテラシーが高い場合、「どうした?ちゃんと眠れているか?」というような気配りのある声かけができます。これは、メンタルヘルスの知識を持っているからこそ、適切な対応ができるのです。抑うつ状態の症状に睡眠障害や集中力の低下があることを知っているからこその対応です。
(3) 新たな居場所づくり
テレワークの普及により、従業員同士の直接のコミュニケーションが減少しています。しかし、非公式なコミュニケーションの場を設けることはメンタルヘルスケアへの良い効果が期待できます(*3)。非公式なコミュニケーションとは雑談のことです。
例えば、同じ立場のグループでの雑談会ミーティングを設定するなど、新しいコミュニケーションの場を作ることで、組織の結束を強化することができます。何気ない雑談で救われることがあります。自分だけの悩みだと抱え込んでいたら、実は皆も同じように感じていた、といったことは以外にも多いものです。
3.メンタルヘルスケアの注意事項
メンタルヘルスケアの取り組みは組織にとって重要ですが、その方法には注意が必要です。特に、「ケア」と「過保護」の違いを理解することが重要です。誤った対策は、組織のバランスを崩す可能性があります。
例えば、管理職に過度な負担をかけるような対策は、管理職自体がメンタルヘルスの問題を抱える原因となり、組織の健全性を損なう可能性があります。実際、管理職は経営計画の達成を目指して日々の業務を進めています。その上で、メンタルヘルスのマネジメントまで求められると、その負担は増大します。結果として、管理職が休業するリスクが高まるだけでなく、管理職を目指す若手の意欲も低下する可能性があります。つまりは、「過保護」な対策によって、本末転倒となり、企業の組織力は徐々に低下していきます。
このような問題を避けるためには、外部の専門機関のアドバイスを取り入れることが有効です。特に、50名未満の小規模な事業所の場合、各都道府県に設置されている産業保健総合支援センター(*4)が役立つでしょう。企業の条件にもよりますが、無料で産業保健に関する相談やメンタルヘルス対策の導入支援を受けることができます。まずは地域の産業保健総合支援センターへ相談することを推奨します。
しかし、産業保健総合支援センターは健康面からのアプローチが主であり、経営全体を考慮した対策は提供していません。メンタルヘルスケア対策はあくまでも手段であり、その目的は組織の活性化です。企業によって考え方は様々ですが、組織の活性化によって達成したいことは、収益や利益の向上にあります。つまりは、経営全体を把握した上で、メンタルヘルス対策を設計したほうが高い成果を得ることができます。
例えば、採用戦略の中にメンタルヘルス対策を組み込むことで、企業のブランディングを強化するといったアプローチが考えられます。この場合、ブランディングを想定したメンタルヘルス対策を合わせて検討しなければなりません。企業経営の観点では、経営の改善を念頭に置いたメンタルヘルス対策の設計が望ましいと考えます。
(*2) 吉村健祐ら(2013)「日本における職場でのメンタルヘルスの第一次予防対策に関する費用便益分析」
(*3) 佐々木那津ら(2021)「新型コロナウイルス感染症流行と労働者の精神健康:総説」
(*4) 産業保健総合支援センター(さんぽセンター)
- 回答者
- 中小企業診断士 大塚 貴行
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